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考えた

会社の上長と夫の父とよき老い方について

先日、部署内でコンプライアンスの勉強会があり、上司がその内容を会社でこれまで実際にあったことを絡めて解説してくれた。

勉強内容より、それによって明るみになる具体例の暴露の方が頭に残ってしまった。

引き合いに出されていた上長の1人を、私は「人間、こうやって歳をとっていくのがよいな」と割と好意的に見ていたが、外から見ればおじさんたちが和気あいあいとしているように見えても、距離の近い人間からするとやりにくい部分もあるものである。

そりゃそうだ。となった。


同じように、魅力的な人間に映る夫の父。

私はこの距離だから、いいように見えるだけで。


そして心配になる。

「そこに魅力を感じている自分も他人に疎まれる道をいくタイプなのか?」


この上長と義父の素敵なところは、こういうものが良い、こういうものはいけないというメリハリがあるところである。

喜怒哀楽に人間らしさがあり、マイペースでおじいちゃん的な可愛げもある。

(この可愛げは、こうした方がいいと本人もわかってはいるんだけど、なかなかそうできない、例えばそこまで重大でない忘れ物のような感じ。)


好意的に見ている私でも歓迎できない面の共通点を挙げるとすれば、

「激昂すること」

である。メリハリの効いたやつ。

怒りは一番低い波動だとスピリチュアル的な誰かが言っていたが、そういうことなのか?

それを撒き散らす行為はやはりよろしくないってことなのか。


あとはいいかげんというか、マイペースというか。。。

こうして書きつらねると悪口めいてまいりますが、違うのよ。

この間、夫から義父の新たなエピソードを聞いたのだけど、

食べたお皿をシンクに持ってゆき、水を入れる。

(いいねいいね)

しばらく水を入れ続ける。

(汚れ落ちやすいね)

ずっと水を出しながら見ている。

(あふれているな)

けっこう出し続ける。

(??)

止める。

(止めた!)

去る。

(去る!!!)

という謎の行動が昔からあるとこのこと。

もちろん理由を尋ねてみたが、わからないという。

あまり自分のことを話さない夫が、久々に自分に関わるエピソードをちゃんと話したのがコレなので、この行為を何十年とやられる側の、どこにももっていきようのない気持ちの重さが伺える。

聞いた方も、スッキリとしない何かが残り、でも心の底から笑いが込み上げてくる訳ですが。

この距離感だから楽しいのであって、配偶者にこれを毎日やられたらとても厳しい。

でも亡くなったら語り継がれそう。

やっぱり魅力的なようななぁ。

老いていくと、他人にどう思われるかが減っていって自分の本質的な部分が残っていくような気がするのだけど、善くあろうとしたいとは思う。

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