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考えた

小学校の参観日の心苦しさとHSS型HSPについて

授業参観

先日小1と小3の娘たちの参観日があった。ちなみにその後に役員決めもあって、心は重い。

学校での子どもの様子は知りたいけれども、「知り合い」レベルの人たちが大人数集まっているところが大変苦手である。
みんなそうかもしれないけど。

保育園からの知り合いとの距離感が、少し縮まったのに自分の内的な事情等でリセットされたりして、難しい空気感になってしまっていたりするので、こういった行事を終えたあとに気持ちが上がることはないのである。

ところで、その「自分の内的な事情」について、
最近とあるYOUTUBEの動画を見ていて、HSS型HSPというものを知り、調べてみると、自分にその傾向があるということを知った。

HSPは以前から知っていて、Highly Sensitive Person繊細な人のことだったと思う。HSPの”ケ”があるとは思っていた。自分の敏感さに型のような、名前が与えられて、何かほっとしたことを覚えている。

大人になって仕事場と家を往復する分にはそれほど支障はないが、その昔の学校生活では、そもそもいわゆる「多感な時期」に、HSP的センシティブな部分も持ち合わせて、よく生活してたなぁと、自律神経がグングン減っている今、感じ入るものがある。

では、HSS型HSPはというと、刺激を求める外交的な性格だが、傷つきやすい。というなんとも厄介な特性を持つタイプの人間のことである。全人口の6%ほどだと聞いている。

実際の話に戻すと、
まず、周囲のお母さま方は、誰かが一生添い遂げようと思っただけある素敵な人たちばかりで、興味を持って近づいてしまう。(→HSS)

その後そのお母さんたちについて、例えば、
頭がいいけど小ズルく人にやらせるところがあるな。とか、
生産性があっておしゃれで憧れだけど、繊細さについては全く理解してもらえなそうだ。とか、
コミュニケーション力はあるけどかなりドライなのか?とかを感じながら、
いやむしろそれは遠目で見ていた時からなんとなく匂っていたような気もするが、(→HSP)
でも程よくやってゆきたいなぁと思う中で、こちらの精神状態が揺れ、距離感が揺れる。

これを
「HSS型HSPなんで考慮していただき・・・」
などと、口にする機会はないし、しないし、逆に周りの人は私を気分によりけりで付き合うのが大変な人だななどと思うだろうし、そもそも母たちは皆忙しくそれどころではなかったりする。

なので、結論として初めから一定の距離を置いた方がいいのかなと、興味の赴くまま近付かないように気をつけてはいる。

何を言っているか分からなくなって来たけれど、
参観日が終わると、これまでこの人を傷つけてきたんだろうなぁということが伝わってくるような気がして、感情としては罪悪感を多く感じることになる。
学生の時もそんな毎日を過ごしていたような気がする。毎日・・・大変。。

とは言え、まだ社会的にもHSSだHSPだと言ったら寛大に許していただけるというわけでもないし、悲しい思いをさせているとすればこちらだし、実際気にも留めていない可能性だってあるし、せめて、自分を責めすぎず、フラットに戻し、今日を終える努力をするだけである。

で、ここからは関係ないけど、そういう時は最近知ったヘミシンクを聴く。

ヘミシンクはすごいよ。寝る前モヤモヤしていても、聴きながら寝ると、モヤモヤが少しくらいだったら、朝起きるとニュートラルな自分がいる。
(役員決めのある参観日ほどの精神的疲労は次の日も残っているが。)

YOUTUBEで検索するとヘミシンクとそうでないものが一緒に出てくるので、見分けつつ、好みのものを聴いてみると良いかも。

ヘミシンクとは、ロバート・モンローさんという方によって研究開発された音響技術で、左右の耳から左右のスピーカーがそれぞれから同じ距離になるように置いて聞くか、ヘッドフォンで聴きます。
ヘッドフォンが簡単です。左右の音のヘルツの差がいいらしいです。

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