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続・小学校の参観日の心苦しさとHSS型HSPについて

参観日に行く心苦しさについての投稿から2年ほどの時が過ぎた。

はじめに言ってしまうと、あれから「参観日」というものに対して何か有効な手立てが見つかったかというと、そうでもない。

とはいえ、毎回毎回あがきながら、準備したり心がけておくとよさそうだと思ったポイントは、あくまで私の場合だが、いくつか出てきたので書いてみようと思う。

具体的にできること

image by David Iskander from Unsplash

着ていく服を決めておく

「他の方たちにどう見られるか気になる」という不安要素の一つを潰すために、季節感や気温、その日の内容や予想される雰囲気を踏まえた適切な服装の落としどころを前もって考えておく。

色々踏まえたからとりあえず服については大丈夫だろうという、(ごくごく個人的な)安心要素を一つ増やす。

急にコミュニケーションをとる場面になっても、少し落ち着いてコトが運べるような気がする。

前日よく寝ておく

寝不足は挙動不審につながったりするので、前夜はなんとか眠るようにする。

難しければ、参観日前日と当日を天秤にかけ、前々日に夜更かしするなど、コンディションを整える。

時間や場所等、流れのシュミレーションをしておく

私は午後に参観のある日に1日の休みを取ることが多いのだが、午前中にやりたいことを詰め込みすぎてしまったり、体調がイマイチでぼーっとしていると、結局出かける直前でバタバタしてしまい、遅刻や忘れ物、心の余裕のなさに繋がってしまうことが多々ある。

なので、以下のようなことを、シュミレーションしておいて、落ち着いて出かけられるようにする。

  • 車で行くのか徒歩で行くのか、それによる出発時間
  • 出発の1時間前くらいからやることの時間をざっと振り分けておく
    • ex:出発は13:20だから、13:15には行ける状態になっていたいから、12:50には着替え始めて…といった感じ
  • 今回の参観内容
  • 履き物を持っていく他に、何か特別な持ち物はあるか
  • 懇談会には出席するか
  • 上の子と下の子どちらから先に観るか

午前中に体力を消耗しすぎない

平日の自由時間にやりたいことや、やらなきゃいけないことはたくさんあるけれど、詰め込みすぎないようにする。

また、体力を消耗する系、例えば、買い物をゴリゴリにするとか、私だと大好きなワックスがけをゴリゴリにやってしまうとか、そういうことの分量を抑える。

気持ちの準備

上記のような準備ができなかったとしても、別にいいんじゃないかと考える

たとえ「私、今日、話しかけづらいオーラに包まれてしまってどうにもならない」と思い込んでしまっていても、どんな母にも余裕のない場面はあるわけで、それを自分が見たときも、そっとしようと思うように、皆さんの思いやりを信じることに決める。

私も「あまりよく眠れなかったし行きたくない」ようだけど自分でもよくわかっていないような日など、出発時間も交通機関も、なぁなぁとして参観になだれ込んでしまうことがある。

そんな日は、自分へのハードルを下げてのぞむようにしている。

自分が余計なことさえ言わなければよしとする。

差別的発言や、誰かをおとしめていると受け取られかねない言動等に気をつけていれば、自分が恥ずかしいことを口走ろうが、空気が和んだならよかったと考えたり、逆にダメな部分もさらけだせてラッキーだと考える。

よく見ると、自分だけじゃなさそうだ

ふと周りを見渡すと、あまり誰とも関わらずにやり過ごそうと考えていそうな人や、話したいかも知れないけど周囲を伺っているというような感じの人などが見つかると思う。

イケそうなら話しかけてみるのもいいし、タイミング的に、話しかけても不自然だったり、急いでいたら迷惑なこともあるだろうし、基本的には、そんなことを色々考えていると体は動かなくなってくるのではないかと思う。

ちなみに私はそうなので、ただ静かにしているのも全然ありだなと思う。

でもとにかく心だけは誠実にそこに参加する

皆さんと話してワイワイせずとも、同じ年頃の子を同じ地域で育てる親同士、みんなの子育てが良いものになり、通う小学校が気持ちの良い環境になるようにという姿勢さえあれば、急がずとも、最終的に、どちらかというと、自分も環境も良い方向に向かうと思う。

時に「自分さん」が、本音では「今日は参観なんて気分じゃねーぜ」などと思っていることに気づいたとしても、参観の内容を踏まえ、授業を見守り、場面や必要に応じて、決して他の皆さんの目的の邪魔にはならないよう配慮する。

日々自分に力をつける

image by Element5 Digital from Unsplash

あれから私は、自分が不安に思っていることと向き合ったり、起きたことを良い方に捉える努力をしたり、忘れる力をつけたり、何も考えないを練習したり、瞑想したりということをちょこちょこやってみた。

私は特に、自分も他人も責める傾向が強く、それまで「責めない」ということすら考えつかないくらいだったが、3年ほど前に、責めない方がいいという話が、やっと私の耳にも入ってきたので、それからやめるように意識した。

私の場合は、まず、自分を責めない方から始め、罪悪感を感じないように心がけた。

その代わり、他人も責めないようにする。

それの積み重ねなどで、後から「自分が何かやってしまったんじゃないか」と、もんもんと考えてしまうような事柄に対して、いい意味で鈍感になってきた気がする。


また、周りに対しては、ありがたいことに受け入れ難い人はいなかった。

どちらかというと、自分が様々なことに対して寛容であろうとすることと、どう貢献できるのかを考えるようになったのだが、それは、周りにそういう方が何人もおられるからである。

そういう人がいらっしゃると、自分も同じようにありたいという意識を向けやすい気がする。

穏やかな感じのお母さんたち。

そういう姿勢に助けられているなと感じたり、自分とは違う考え方に、そういう考えもあるなと思ってきたり・・・

私は思い込んだら思い込んでいくタイプだったので、柔軟な部分がそれぞれ違うありがたみというか、これまでも周囲の皆さんがそれぞれいろんな風にうまく回るよう動いてくださっていたんだなということに気づいたりした。

過敏さは年々減り、状況はよくなっていくと思う

すぐに劇的な変化があるわけではないが、HSPは、年齢が進むにつれて緩和していく。

40代ともなると20年前とは比べものにならないくらい大雑把になってきたり、経験値もたまり、昔だったら「もうお終いだ」と絶望していたかも知れない状況でも、周りの思いやりや配慮を信じることができたり、対応する力も多少はついている。

「これは自分に合わない」ということが既に解っている場合は、早い段階で避ける選択ができたりもする。

ちょっと…な人とは、距離をとる。

距離が開いてしまった方とはそのままにしておく。

個人的に憧れる方と、ほとんど喋らなくなってしまったなぁというような寂しさもあったりするが、縁があれば今後関わることもあるはず。

今後、まさかの人物や状況に出会うこともあるのかも知れないが、その時は「自分の前にそれが現れたのはどういうメッセージなのかな」と考えてみようと、今のところ思っている。

100年経ったら、自分のことを知る者はいないと思って、毎日をできるだけ楽しく過ごしたい。

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